Profile

1978年9月30日生まれ。B型。神奈川県川崎市出身。今も川崎市在住。

元プロレスラーで現在はWebデザイナー(状況に応じてWebディレクター)。

既婚、二児の父。
食べ物・趣味・子育て・仕事のこと
とにかく書きたいと思ったことを何でも書いてます。

現役引退後から現在に至るまで、Web制作の仕事に従事しながら仕事で独立することを念頭に日々過ごしてます。

来歴

幼少期、小・中・高とスポーツに本格的に取り組むことは一切せずに生活を送る。
小学校時代は習字・そろばん・絵(工作)を習うが、大体どれもすぐに飽きてしまう。
唯一6年続けたのは絵のみ。小学校6年時に1年だけ少年野球を経験。

中学時代から友人の影響でプロレスファンとなる。
1年生のときに剣道部に入るも顧問の異動により2年生の終わりで閉部。柔道部に移籍するもほぼ顧問が来ず、プロレスごっこだけしかせずに過ごす。

高校進学後は人数合わせの天文部に在籍するも、まともな部活に入らず帰宅部生活。
中学生活で刺激が多かったせいか、そのギャップで3年間を何もなく平穏に過ごす。どうしても何か格闘技をやりたくて近所の空手教室に行き始めるも打撃系格闘技がこの頃からあまり好きではなく脱落。

1年の浪人生活ののち大学合格。
浪人時代は積極的にプロレス観戦の地方遠征するなど浪人生活を謳歌(?)していた。

20歳のときに当時ファンだった某選手(過去形)が地元に作った格闘技ジムU-FILE CAMPに入会。人生で初めてまともに取り組んだスポーツが格闘技となる。
数々のアマチュア大会を経て、大学を卒業した2002年の12月8日に格闘技イベントDEEP2001(現:DEEP)7th IMPACTディファ有明にて初めてプロのリングに上がる。

決勝まで上がれば本戦で試合ができるというトーナメントで、どういうわけか勝ち上がってしまい、いきなり1日3試合を経験する。
一回戦では普段は全く練習しない打撃(ローキック)で相手をダウンさせて、場内の関係者から失笑が漏れる(笑)
そのまま準決勝では同門・中村大介との対戦を制し決勝へ進むも、最後は何もできずに1R・TKO負け。

翌2003年4月20日、KAIENTAI DOJOディファ有明大会にて真霜拳號戦でプロレスデビュー。
以後、あちこちの団体に上げていただき、プロレスのリングを中心に活動。

2004年、自分たちが主導して団体を立ち上げるも翌2005年には頚椎&腰椎ヘルニアに加えて背骨を骨折。
症状が悪化の一途を辿る中、公私ともに絶不調となり引退を宣言してリタイア状態に。

2006年、整骨院を営む中学時代の先輩の熱心な治療により症状が劇的改善。
以前よりお世話になっていたマネージャーの勧めにより格闘技イベントDEEP関連のレフェリー・ジャッジを始めるとともに、ケジメの1試合の提案を受け本格的に練習開始。

この年の夏頃から蜂窩織炎にかかるようになり、初めてのときは重症化し、診察・検査中に意識朦朧となり緊急入院して手術を行った。
これ以後、重症化することはなかったものの引退直前まで2ヶ月に1度のペースで蜂窩織炎にかかり続けた。

練習している中で決まりかけていた試合が諸事情により流れてしまい、気持ちのやり場を失いかけていたところに後のプロレス界での師匠となる池田大輔より「ウチで復帰しろ!」とのまさかのお誘いを受け、悩んだ挙句、翌月のバチバチにて復帰を決意。

2007年10月20日、バチバチ9 ラゾーナ川崎プラザソル大会において吉川祐太戦で復帰。チキンウイング・アームロックで復帰戦勝利を飾る。

2008年1月14日、ClubDEEP新宿FACE大会にて前年流れた総合引退試合を改めて行う。
当時・パンクラスの上位ランカーだった岩見谷智義を相手に打撃で善戦するも2R・チョークスリーパーにて一本負け。

同年2月24日、バチバチ13 ラゾーナ川崎プラザソル大会で全試合終了後にフーテンへの入団を直訴し、その場で池田大輔より「入団するならホワイト森山だ!」というまさかの宣告。

ここから『ホワイト森山』として新たな人生が始まる。

2010年7月に結婚。同年10月の結婚披露宴二次会において夫婦タッグでバラモン兄弟と対戦。

2011年1月、バチバチ43 ラゾーナ川崎プラザソル大会での小野武志戦において現役引退試合を行う。

同年6月29日に長女誕生。

2013年8月6日に二女誕生。